母の優しさ

母はどんな人?と聞かれたら一瞬の間もなく「優しい人」という言葉が真っ先に出てくる。

いや、正確には「出てきていた」。「ついさっきまで」だ

 

じゃあ、いつからそうだったんだっけ?

はっきりと記憶はないけれども、4歳か5歳くらいからそうだったように思う。

 

30年近くの間、僕の母が「優しい人」だ、ということについて、1mmの疑問も持たずに生きてきた。

というより、それが既にあらゆるものに優先する”前提”となっていて、疑問を持つ対象にさえなりえなかった。

例えていうなら、「外に出ても空に向かって吸い込まれない」「バスの床は抜けない」とか、そういったことに一々疑問をもつだろうか?

それと同じことだ。人はあまりにも当然すぎることに対しては考えを巡らさない。

母=優しい、はそれくらい僕にとっての不文律だった。

 

母が優しいか?というか、誰々が優しいか、ということについては、「僕にとって」「他人にとって」「一般的に」と受け手によって評価は変わるだろう。

ここではそういった議論を深くしたいのではないことは先に書いておこう。

今書きたいのは、「なぜ」「ほぼ条件反射といってよいレベルで」「僕は」「母が優しい人」だと「認識していたのか?」ということ。

これは同時に、なぜ同じレベルで優しいと認識した人が”母以外”いなかったのか? という不自然さを検証することでもあった。

 

思えば、母に関する何かがあったときは、まず「母=優しい」という等式からスタートしていた。

通常は逆である。行為があって、優しいかどうかが判断される。

それが積み重なってはじめて「優しい人」という評価になる。

まず先に「行為」、出来事があるはずなのだ。

だが、不思議なことにそれほどに「優しい」出来事を僕は思い出すことができない。

 

・熱を出したときに病院に連れて行ってくれて、看病してくれた

・夜寝つく前に寝かしつけてくれた

といった出来事はたくさん思い出せる。確かにそれは優しいし、嬉しい。今でもそう思う。

ただ・・それは当たり前といえば当たり前のこと。

当たり前じゃない人もたくさんいるかと思うが、今問いたいのはそういうことではない。

やはり、それだけでは「母=優しい」の絶対等式に至るほどのこととは考えにくいのだ。

 

母と父が夫婦喧嘩をすればそれは「優しい母と父が喧嘩した」となり、母が落ち込めば「優しい母が落ち込んでいる」だった。

そしてそれは必然的に「優しい母を喧嘩させた」「優しい母を落ち込ませた」という意味に変換され、価値付けされる。

子供は社会の難しいことは分からないから、その分雰囲気と気持ちを読む。その能力は一般的に言って大人以上。

その子供からみて、常々感じとっていたことは、

母は常に怯え、常に負けて、常に耐えて、常に我慢していた、ということだ。

むしろそれ以外が思い浮かばないくらいに、多くの時間をそういった感情で過ごしていた。

そしてそれを隠そうとすることもなかったので、とても分かりやすかった。

そういったときの発言もほとんど似たようなもので、「私が悪いんでしょ」「私が出ていけばいいんでしょ」といったものばかりだった。

 

楽しそうだったこと・・

余裕があるときで僕や弟と向き合ったときに少し楽しそうな顔をする瞬間があったくらいかな。

父方の実家に行くときや、父と会話するときに楽しそうなところを見たことがなかった。

 

7~8歳くらいになると、母の「優しさ」、いや正確には「優しさだと思い込んでいた何か」に不純物が混ざっていることに気づき始めた自分がいた。

小学校に通い、友達の父母などと多く触れ合ったことや、家族以外のコミュニケーションが増えたことで、相対的に見ることができるようになってきたのだった。

そのときになって母に抱いた率直な印象は、(あれ。なんだか知らないけどもしかして・・ママって・・)

「いっつもため息ついてない?」

「うじうじしてない?」

「いっつも人のせいにしてない?」

「人に嫌われないように外面を良くしてない?(他人になればなるほど声色、雰囲気、笑顔を作る)」

「なんか他人には申し訳なさそうにしてない?」

「ジメっとしていない?」

「気が滅入るようなことばかり言わない?」

「いつも不安がってない?」

「いつも何もほしくないっていってるけど、なんか変じゃない?」

「御礼いうときもうれしそうじゃないの変じゃない?」

といったものだった。そしてそれはあまりよろしくないものだという直感もあった。

それでも、僕にはその印象を言葉にする力もなかったし、身に迫った危険もなかったから深く考える必要性がなかった。

こういった印象を感じた後は、

「これもやさしさのせいなのかな?」

「優しいってこういうことなのかな?」

「僕や周りの人が「優しくないのかな?」」

 

まだロクに自分内会話もできない中、うっすらとした自問自答をしているうちに、数分もすればいつのまにか疑問は消えていった。

・・ように思えた。

それは僕らの精神の奥底に一滴一滴と蓄積していたのだ。

 

 

 

 

 

優しいという言葉、概念が示し内包する強力な正義の印象によって、母は「常に」「無条件に」正当化された。

誰に?

正当化したのは一人しかいない。いや兄弟3人かもしれないが・・

それは子供として生まれた僕らによって、である。

誤解してほしくないのは、彼女は(一般的な意味での)悪意を持ってそうした訳ではないということだ。

彼女は彼女なりに子供に幸せになるように願っていたことは間違いない。

 

ただ、彼女は自分自身も、人間についても、あまりにも分かっていなかったのだ。

彼女は50歳近くになるまで自分で何かを決断した経験がほとんどなかった。

大学も、就職先も、結婚したときも、子供をもったときも、である。

全て外からの強制によってしぶしぶ選んだ道だった。

あまりにも背負っているものが大きすぎて、子供に背負ってもらうしか生きる術がなかった。

吐き出す対象を今すぐにでも見つけないと死んでしまうところだったのだ。

そんなところに子供が生まれた。

愛情は間違いなくあっただろう。それも豊富に。

ただ、そこに毒を混ぜて子供を好きなようにしたい欲求に抗うことは彼女にはできなかったのだ。

 

この事実がなぜ30年間も気づかれなかったのか?ということは不思議だが、

それは彼女の「人に迷惑をかけない」という信条と、「私が常に一番頑張って我慢して報われずにいる」という信条が引き起こしたものだ。

彼女の人生は一言で表すと「「私が常に一番頑張って我慢して報われずにいる」に集約される。

彼女のあらゆる生き様、雰囲気、言葉、興味がそれを物語っている。

「人に迷惑をかけない」と「私が常に一番頑張って我慢して報われずにいる」は密接につながっていて、

人に迷惑をかけてしまうと、「私が常に一番頑張って我慢して報われずにいる」が主張できなくなるので、

「私が常に一番頑張って我慢して報われずにいる」ことを主張するために十分なくらいにだけ「人に迷惑をかけない」ことを頑張るのだ。

つまり、本当の意味で人様の迷惑を考えて行動しているのではなく、あくまで「私が常に一番頑張って我慢して報われずにいる」ことを言うための道具でしかなく、

そのため、世間様にそう思われるくらいには「人に迷惑をかけない」ふるまいはができるのだが、

(そのため理に適うとか、道理に合うかどうか、物事の筋はほとんど興味がなく、人にどう思われるか?だけが基準となる。)

やたらと気を遣うそぶりを見せるわりに、どうしてそうしたのかを教えてもらったこともなく、後にはいつもため息があった。

 

テレビを見ていると、母が興味を示すのは決まって、殺人事件、火事、強盗、幽霊、サスペンスなどのものだった。

車のラジオでそういったニュースが入るとほとんど反射的にすかさず音量を上げた。

そういった行為はただただ不快だったが、まあ物好きなんだなあと思うくらいだった。

事故物件サイトの「大島てる」などを半日以上みていることもあった。

このことが何を意味するのか、50年くらい僕は気づかなかった。

 

世間知らずで世の中のことをほとんど知らない、知ろうとしないのもこれが本当の理由だった。

そして彼女が幼いころからよく善意を利用されたり裏切られたりしたのも、結局のところ、善行に見える行為の中に自己保身の目的が大きく入り込むことで、純粋な善意の濃度が薄く、そのことを感づかれるために反感を買うからであった。

彼女自体「私が常に一番頑張って我慢して報われずにいる」が人生の根深い歪んだ目標になってしまっていることを認めていないため、どうしてもすべての行為にこの毒が入ってしまう。

なので、「相手を心配している」だとか「優しそうな行動」をしてみせるのだが、実際に相手の役に立つ行動は起こせないし、本当のところ興味がないので必ず形だけで終わるのだ。

思わせぶりな態度で期待した相手が、自分の困っていることを包み隠さず話そうものなら、途端にシャットダウン体制に入り、「は、、はぁ、、そうですか、、」を反笑いで繰り返す。相手が怒るそぶりを見せるとわざとらしく少し挑発的に目を合わせるのだ。態度は「早く終われ」。心そこにあらずなのである。

これでは相手が激高するのも自然なことだ。

あるとき(いつものように僕が彼女の話を聞いているとき)、55歳になった母が、昔友達に裏切られいじめられた話をしたことがある。

「小学校4年生のとき、好きじゃなかったけど、独りぼっちだった子と遊んであげててさ、いつも私が聞き役でその子の自慢話を聞いたりその子の好きなことやって遊んでたの。あるときその子が裏切って私のことをクラスのリーダー格に告げ口して仲間外れになったんだ・・先生まで同調してさ」

そういったこともあって人間不信が強くなったのだと。

僕は彼女のブロックが発動しないよう「いびつな関係だね」とだけ言った。

彼女は分かったんだか分らなかったのか「あまりよくない関係だったのだと思う」と。

 

これが彼女の異常性をすべて物語っている話と言ってもよいだろう。

別に、仲間外れの子と遊ぶことが悪いわけではない。行為じゃないのだ。大事なのは動機・気持ちのほうだ。

仲間外れだったことが「きっかけ」であったっていい。

仲間外れを「みんなの輪に入れてあげたい」という気持ちなら、これもまだ分かる。ありがた迷惑かもしれないけど。

 

しかし彼女はどちらでもなかった。理由はただ1つ「かわいそうだから」なのである。

正確に言い直そう。「自分よりかわいそう」だったからである。

好きでもなく、仲間に入れたいのでもなく、ただただ観察対象として、暇つぶし相手として、蔑む相手として、一緒にいたのである。無性に惹かれたのだ。

そして、その関係では彼女にとって「私が」「かわいそうな〇〇に」「〇〇してあげた」 なのである。

 

尊厳ある人間として、このような扱いを喜んで受け入れる人間がいようか!??

 

 

母には大きな2つの支えがある。一つは彼女の祖母、もう一つは介護だ。

彼女は祖母に特別の思い入れがあり、幼い頃に、両親が共働きだった頃から優しく話を聞いてもらったそうだ。

ことあるごとに祖母の話をする。

祖母は大変病弱で、ほとんど外出ができず車いすでときどき外に出る生活を送っていた。

写真を見る限り、巨人症のような顔と小柄な体躯で、妖怪じみた風貌をしていた。

明らかになんらかの病気が障害を抱えているようであった。

それでも目はとても優しい輝きを放っていて、それだけでも母のいうことがイメージできたくらいだ。

生前は放蕩な夫の強引な誘いで結婚(再婚)し、好き放題する夫をひたすら耐えて過ごしたらしい。

母にはよく人生の教訓として「人に優しく」と「我慢」を語っていたらしい。

 

もう一つは介護で、子育てが終わった後から、かれこれ15年ほどその仕事をやっている。

彼女の介護に対する姿勢はそれはそれは見事なもので、身内の僕から見ても賞賛するしかないものだった。

妥協なく勉強し、資格試験に独学で一度で合格。合格後も決して勉強を怠ることなく、勤め人としても妥協することなく仕事に取り組んだ。

時にはどの業者も、市役所ですら見放した汚物屋敷に入って部屋を片付けて汚物まみれのゴミ袋を車に積んで持って帰ってきたこともある。

彼女の介護に対する姿勢は僕の知る限りでも、それ以上の人はいないくらいだった。

それを見て、僕は母は本気で介護に取り組みたいのだと確信して、母が勤め人で矛盾だらけの介護に悩むことのないよう、思う存分自分の考える介護ができるよう、会社を立ち上げ、施設を建設するための手伝いをした。

と言っても、母は当初事務的な手続きは何にもできないレベルだったので、ほとんど僕が作成して、母に意味を教えて、継続的に出すものについては調べさせて、大変な苦労はあったものの、なんとか開業することができた。

彼女も熱心に、分からないなりに全力でそれをこなしていった。

なにか強く感じるものがあったのだと思う。

僕も初めて「母が本気」になるところを見れて胸があつくなっていた。

 

そんな母がまたしても豹変したのは、すべての手続きが済んだ開業直前のことである。

僕は他に本業があったので、介護の業務には毎日携わることはできなかった。

それでも時間の許す限り1日2~3時間は付き添って調べものをしたり書類を作ったりしていたのだ。

ここまでの仕事に費やした時間でも同じくらい。実際の業務の進みでいえば、7割方は僕のやった成果だった。

母の会社なので、母は代表取締役で決定。僕は役職に入るかも決まっていなかったし、本業もあったし、開業して数年間は給料をもらう余裕もないだろうし、どちらでもよかったが、母が常々「取締役で入ってくれると安心だわ」と言っていたので、そうするものだと思っていた。

だが、開業直前のある日「せめて送迎くらいしないと給料は払えないよね」などと、

突如として言ってきたのにはたまげた。

僕は「うわ~ 何があったか知らんけど急にこの人 まだ開業もしないのに なぜかいきなり社長から部下に命令目線になってる~ よく言えるな それ。」

あまりにも失礼な態度だったので、じゃあ僕はオリます。頑張ってくださいということで手を引いた。

そして、結局母は初年度の税務書類が作成できず、そこで父がしゃしゃり出てきて、「俺は県税をやったことがあるからなんでも知っていると」大見えを切って適当に書類を作って出した。

(が、結局1年後に数値のめちゃくちゃな書類を出していたことが発覚し、父は責任取らず、母も自分がまかせたことは忘れて父を責めるばかり。父と母が大げんか。できるのは僕しかいなく、母が泣きついてきたので結局また僕がやることになった。それをきっかけにありとあらゆる書類の確認と作成をまた僕がやることになった。トータルでそれに10000時間、丸1年くらいは費やした。)

やっと降りることができたのは、開業4年目になってからだった。

途中母がザル会計で赤字になり個人的に金を貸したり、経営改善の方法を教えたり、銀行についていって金を借りる方法を教えたりと、様々なことがあったが、4年目で経営が軌道に乗り、母もほとんどの書類を作って出せるようにまでなった。

僕としても安心で、これでやっと手を引けるということになったところで、やっと「じゃあ取締役に入る?」と母。

僕「は?なに今更? (あ~経営自身ついてきたからね。)(100%余裕ないと嫌なのね。)(義理とか人情とか道理とかではないのね。)」

母「給料3万でいい? でも毎月その分はなんらかの形でもらうから」

僕「はい。それでいいっす」

 

彼女には本当に相手の気持ちやメリットを考えることができないらしい。それで僕になんのメリットがあるのか?

もしかして、それでしてあげたつもりなのか?

というか、むしろ面白いくらいに神経を逆なでするようなタイミングで切り出してくるのが不思議だったのだが、

この謎も後で明らかになる。

 

本題に戻って。本業の介護のこと。

介護については母はなぜか、抜群の気配りと世話を行うことができる。

相手の無理な要望にも嫌な顔せず応じ、相手のことを考えて行動することができるのだ。

僕はこのこともあって、母の問題の核心に気付くまで、母はやはり問題など抱えていないのでは?と思っていた。

色々疑問はあるけれど、母はやはり本当に優しい人なのかもしれないと。

 

だが、ある日僕は確信してしまう。

全てが一本の糸でつながってしまったのだ。

「事故」「火事」「殺人」

「病弱で障害があり醜く年老いて、自分を愛してくれた祖母」「お年寄り」「介護」「赤ちゃん」「仲間外れの友達」

「弱い」

「かわいそう」

「なんてかわいそうなわかってもらえない報われない自分!」

そんな自分よりかわいそうだなんて!!!

 

彼女の人生のモチベーションはここだった。

彼女が好きなもの、興味を持つもの、愛情を注げるものは、すべて

すべて「自分よりかわいそうなもの」だったのだ。

彼女は「自分よりかわいそうなもの」からエネルギーをもらい、そこにならためらいなく愛情を注げるのだ。

自分よりかわいそうなものじゃなければ、逆に相手が彼女にエネルギーをくれなければならない。

それが彼女の心の法則だった。

だから、不幸事が何よりも好きだったのだ。

だから、自分よりかわいそうだと思えない相手にはどこまでも冷酷になってしまい、

ついていかない気持ちや悪意を取り繕うしかなかったのだ。

だから、どれだけ人にもらっても感謝できなかったのだ。

だから、自分以上に幸せになることは応援できなかったのだ。

 

 

彼女は自分の評価(「私が常に一番頑張って我慢して報われずにいる」「迷惑をかけない」)を得るために他人を利用したことに気づいていないのだ。

彼女には「いい人に見られたい」とか「目立ちたい」とかの欲求はほとんどない。

金持ちになりたいとも、性欲も、威張りたいという気持ちもあまりない。

だから、そういった大勢の人と自分は違うので、自分は欲望のために行動していないと本気で信じているのだ。

実は同じ穴の狢か、おぞましい欲求を隠している分余計に悪質なのだが。

 

本当の意味で相手の立場や感情を考えたことがない(その動機もない)ので、見えないところで迷惑を掛けまくっていることに気づかずに、見ないフリをして生きていたのだ。

 

彼女は基本的に必要が無ければ外に出ない(結婚するまでは引きこもり同然だった)ため、それが顕在化しなかったのだが、濃密な人間関係になるとそれを隠し切ることはできないのだ。

それはつまり、彼女のエゴを守りつづけるための「見えない迷惑」をすべて子供が引き受けることを意味した。

四六時中の不機嫌な顔、

四六時中の不満げな顔、

四六時中の悲しそうな顔、

四六時中の疲れている態度

四六時中の分かって欲しそうな態度

子供の行動は聞くが、気持ちは1ミリたりとも聞かない。

子供が気持ちを強制的に話しだすと自分の殻に閉じこもって拒絶する

巧妙なエゴが混ぜられた「優しい母」

恋愛や楽しいことがあった話をすると始まるつまらなそうな態度

風邪をひいたり、病気になったり不幸になると、全開になって注がれる優しさ

 

彼女の未処理の課題、欠点、苦悩、怠惰、諦め、運命、といったたくさんの重荷は、

その子供に全肯定されることによって軽減され、彼女は自分の子供を育てることと引き換えに自らの重荷を背負わせたのだ。

意識してかせずか、最強の「自分の味方」を作ることに成功したのだ。

彼女を社会的に責める物的な証拠は何もない。彼女は一般社会通念において「良き母親」であったのだ。

ただ一点、子供と母という絶対的な関係を悪用したという点を除いては。

全ては自分が「このつらい世界」で生きるために。